戦争を乗り越え、笑顔のお婆ちゃん
こんばんは、Jiuです。
お婆ちゃんの行動調査は2日とも同じパターンなので、
今日は実家の調査をしたよ。
新橋の土地にはお婆ちゃんの実家が建ってたけど、
戦時中に大井町に引っ越したの。
実家は商家と聞いたので、この辺りの昔の様子が知りたかったのね。
新橋には実家の建物はもう無くて大きなオフィッスビルが建ってるの。
近くに昔からあったらしいお店の人に聞いても戦後引っ越してきた人ばかり。
そのうちに、あそこの店のご主人なら知ってるかもって教えていただいたの。
そのご主人のお話しでは、この辺りは戦前は商家や民家が立ち並んでたのね。
商家は江戸時代から続くお店ばかりだったと教えていただいたの。
お婆ちゃんの実家はよく覚えてなかったけど、
位置的には反物屋さんかなぁって記憶なの。
戦争が終わる昭和20年には大空襲があって、
この辺りは一面焼け野原になったとか。
この後は、国立公文書館に行ってきたよ。
係りの人から昔の地図を見せていただいたの。
江戸時代は大名屋敷で、明治に入って民間人のお家ができて、
明治11年に町名がついたの。
今は「虎ノ門」という町名だけど、
戦前は民家がいっぱあったけど、
戦後は区画整理されてオフィッスビルが建ったのが分かったよ。
お婆ちゃんの実家は戦争で焼けたので、
土地だけは今でも所有してたのね。
ネットで調べると夏目漱石の「野分」という小説に
「芝琴平町の安宿へ着いた」と書かれてたの。
この本は明治40年発行なので、
戦前この辺りは商家の他に宿があったのが分かったよ。
解説には増上寺にお参りする人が多かったので、
この辺りは宿場町として栄えたと書いてたの。
お婆ちゃんのご両親や祖父母が、商いしてる姿が想像できたよ。
昭和19年末から終戦にかけて7回もの空襲を受けてるの。
お婆ちゃんが10歳ぐらいの時で、
いえ、大井町のお家は母親の名義だったので、
お父さまと祖父母は戦争で死んじゃったかも。。
戦争さえなければ良かったのにね。。
それを思うと可哀そうになってきて涙が出てきたよ。
昨日までの調査で、お婆ちゃんは集会場でみんなと、
はち切れそうな笑顔でお喋りしてたの。
今が一番幸せかも。。そんなお婆ちゃんを優しく見守ろうと思ったよ。
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